亜類 的个人资料横浜・Arui日志列表网络 工具 帮助
9月14日

在日外国人

在日外国人                      2007-09-12


私は英語がそこそこ出来ますので、ボランテイアで通訳をやり
たいと思っています。そういう制度が自分が住む神奈川県に
あることを知ったのは、今年度になってからです。そういう制度
があることを知るのが難しいです。netのwebを見つけて、そこ
入って情報を得たのですが、そこにたどり着くまでに。時間が
かかりました。

月に3回出ている、神奈川県国際交流センターの展示室での
接遇ボランテイアが最初のきっかけでした。JR本郷台駅の
近くにあるセンターには、国際○○のパンフレットが、それこそ
無数にあります。それらを見て関心のあるものをpickupして、
だんだん自分の欲しい情報に近づくことが出来ました。

そこで知ったのですが、神奈川県には医療通訳派遣システム
と言う制度があることです。ボランテイアの通訳を教育訓練して
適性な人を登録しておいて、県内の病院から外国籍の県民で
その病院に来た患者との言語での意思疎通に問題がある場合
通訳を派遣する制度です。現在16の病院で毎月180件程の
通訳要請が来ているとのことです。登録通訳は140名ほど。
この制度を維持するには、お金が必要ですから神奈川県は
その為の予算措置をしている訳です。

私は現在その研修を受けている身分なので、まだ登録されて
いません。登録されたとしても言語が英語ですから、通訳の
方は沢山居るでしょうし、医師も英語ならある程度喋る先生も多
いことでしょうから需要がどれくらいあるのか見当もつきません。
噂では、ポルトガル語、スペイン語、中国語は足りないらしいです。
さて、患者となるかもしれない在日外国人ですが、これが普通の
知識常識で考えるよりも多いので驚きます。今、日本に居る外国
人はどれくらいか。2006年の入国管理局の調べで208万人だ
そうです。役所に届け出た数字だから実際はその何倍か居る
だろうし、それから1年経っているからもっと増えているだろうと
考えると大変な数字であることが判ります。仮に300万人とする
と、全国には横浜市の人口と同じ位の数の外国人が居ることに
なります。

在日外国人と言えば、在日コリアンの問題があります。この問題
は根が深く簡単には言えませんが、数の面では50万人で安定し、
そして少しずつ減少して行きます。更に、この人達は言語の面
では困っていません。1975年のサイゴン陥落以後、国際的に
ベトナム難民を受け入れることになり、日本政府もしぶしぶ少数の
(国際的な観点から、日本の経済的規模から見れば)ほんの少し
の難民を受け入れました。それ以後、受け入れ外国人の登録数
が急速に増えてきています。1980年以降それが顕著です。

日本と言う国は、外国人を受け入れたいのでしょうか、受け入れた
く無いのでしょうか?実際はどっちつかずで、腰がふらふらしてい
ます。法的には、受け入れたくない。入国管理面では、なるべく
外国人が日本に入り難いように設定しています。イラン人親娘で、
日本で生まれたお嬢さんは、日本の大学で勉強。両親は違法な
ので、国外退去などという実例が出ています。日本人男女と結婚
した外国人配偶者は離婚すると国籍を失います。日本で生まれた
子供は日本人で居られます。離婚しても国籍を失わないとなれば、
中国からわんさと偽装結婚花嫁が来そうです。

実際の日本の世の中、外国人無しには、廻って行かないと言われ
ています。3K職場は外国人しか受け手が無いのでしょう。だから
経済実業界からは、外国人を受け入れて欲しいとの要望が出され
ています。しかし、これを進めてしまうと、ヨーロッパ各地で経験した
トラブルを日本でも再現することになります。私達はどうすれば良い
のでしょうか。

このような問題を抱えながらも、目の前の外国人が病気になったり、
災害に遭遇した場合、貴方は違法滞在だから救助しませんと言う
ことは出来ないです。勿論合法滞在外国人が200万人を超えてる
のが現状です。この人達が病気になったり、災害に遭遇することは
必然です。阪神淡路大震災の時、外国人からの相談電話が1000
件もあったそうです。(多文化共生センター、田村理事長談)、2004
年の新潟中越地震の際の外国人避難者が350人を超えた時期が
あったそうです。そんなこんなを考えながら私はボランテイア通訳の
研修を受けています。2週間に1度のペースですが。

9月5日

平家物語の恋騒動

平家物語の恋騒動            2007-09-04


私が受講する平家物語を読み通すも、だいぶ進行しま
した。平家物語は平家の勃興と隆盛、やがて衰退の
物語です。だから大抵の話は男共の争いと戦いの話
ですが、中には珍しく恋物語が有ります。それが小督
(こごう)と言う訳です。


高倉天皇は平清盛の次女(後に建礼門院となる)を中宮
(複数の皇后が立てられたときに最初に立后された皇后
以外の妃)に迎え、或いは、迎えさせられ、その御子安徳
天皇に早々と位を譲られ、或いは譲らされたが、風流を
愛し、慈愛深い院であった。
中宮:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%AE%AE


その院は中宮付きの女房の童で葵前と言う少女を愛した
が、いろいろ取り沙汰するものが有ったので、世間の非難
を憚って、逢うのを辞めた。少女は、院の心を知り病臥後
数日で没した。


嘆きに沈む院を見兼ねた中宮が自分に使えていた女房
の小督を院のもとに差し出す。小督は桜町中納言の娘、
絶世の美女で琴の名手であった。正妻が傍女を差し出す
と言うのが、よく判らないが、そうはっきりと書かれています。
院は小督を愛し、一見落着と見えたが、清盛の横暴、多分
最後の横暴が始まる。


この小督は冷泉大納言隆房がまだ少将の頃、見染めた
女房であった。その隆房の妻は清盛の娘の一人であった。
清盛からすると、2人の婿、高倉院と隆房とが小督を愛し、
つまり自分の娘の面子を失わせたことになる。おのれ、
にっくき小督め、ひっ捕らえて亡きものにするぞと叫ぶの
であった。ま、亡きものと言っても。この場合、相手はか弱き
女性である。出家させれば済むのだが。


これを伝え聞いた小督は「私はどうなってもいいが、院の
身の上に若しものことが有っては・・・」と宮中を去って、
行く方知れずとなる。それでも清盛は、お世話をする女房も
差し出さず、参内する臣下にも睨みを利かせたので「入道
(清盛)の権威に憚って参り通う人もなし。男女うちひそめて、
禁中(宮中)いまいましうぞ見えし(陰鬱であった)。


ただ清盛さんの味方をする訳ではないが、この頃の清盛は
いらつくことが多くなってきていた。外孫を天皇にすると言う
絶頂を極めながら、思いどおりに行かないことが起こり始め
たのである。それが福原遷都、1180年治承4年であった。
この年、平定はしたが源三位頼政、以仁王の反乱が有った
年である。
http://www6.plala.or.jp/HEIKE-RAISAN/jikenbo/fukuharasento/fukuharasento.html
http://homepage2.nifty.com/lame-ru/genpei/siseki/sento.htm


多くの在来勢力(寺社も含む)の反対を押し切って強行した
福原遷都であったが、悪いこと(準備不足による手違い、不
具合)が続けて起こり、また強硬な反対意見にも逢って、
同年に京都へ戻るのである(実は京都もガタガタになってる)。


海外貿易で財政を運用しようとしていた清盛にとっては、日
宋貿易の港である大輪田泊りを見晴らす福原の地を都にした
かった思いはよく判る。そして、なんともあっけないことに、こ
の翌年、清盛は死んでしまうのである。平家の衰退を予感さ
せるには、充分な事件となりました。--続く--

昔きりぎりすとはこおろぎのこと

昔きりぎりすとはこおろぎのこと           2007-08-30


高校時代の国語の時間だったか、古文の時間だったかに、教
わった記憶があるのですが、江戸時代(辞書には平安時代から
と書かれている)には、きりぎりすとは、今のこおろぎのことだと
聞きました。で、その時に芭蕉の俳句


むざんやな甲の下のきりぎりす   


が、その例として出されていたと思います。きりぎりすは主として
草むらに居て鳴き声は、ギーとかジーと言う音が2秒ほど続いて、
3秒程中断するのを繰り返します。体長は3~3.5cmで色は
緑で、動きは敏捷。素手で捕まえるのは難しい。鳴くのは昼間が
多いです。


http://contents.kids.yahoo.co.jp/zukan/insects/card/0563.html
(この中で、きりぎりすもこおろぎも紹介されている)


こおろぎは、主に石の下などに住み、鳴き声は、コロコロとかピリ
ピリと5~6秒程鳴き、中断も5~6秒になる。鳴くのは夜が多い
です。色は黒っぽい茶色。動きは素早いですが、時には人の目の
前で、じーっとしている時もあります。素手で捕まえることも可能
です。中国ではオスのこおろぎを闘わせる闘蟋が有名です。今は
そのシーズン真っ盛りでしょう。


さて、むざんやなの句だけで、ここでは、きりぎりすはこおろぎです
と言われても、何か他に証拠は有りますか?と聞きたい気がします。
ところが芭蕉とほぼ同時代の俳人、丈草の句を見ると、これなら
きりぎりすがこおろぎだと言うことに納得できるような気がします。


連れのあるところへ掃くぞきりぎりす
寒けれど穴にもなかずきりぎりす
行灯に飛ぶや袂のきりぎりす


箒を持っている丈草の前に出てきたこおろぎが、動かずにじーっと
している。庵の外で鳴いている仲間のところへ掃き出すよと心優しい
丈草が目に浮かびます。


但し、鳴くこおろぎはオス。丈草の目の前のこおろぎがオスなら、
敵の居るところへ掃くぞきりぎりすと詠まなければならなくなります。


文英堂:全解古語辞典:きりぎりす

【蟋蟀】虫の名、コオロギの古称。
コオロギ科の虫を総称していう。雄の成虫は秋に鳴きその鳴き声は
賞美の対象となった。