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10月24日

鼠径ヘルニア

鼠径ヘルニア             2008-10-23

僕はヤコブ、5歳のアメリカ人です。でも日本の幼稚園に
通っているので、日本語も少しできるよ。僕は元気な男の
子でスイミングとサッカークラブに入っているんだけど、
脱腸なんだ。足とお腹の境目のところがプクンとふくれる
ことがあるの。痛くないけど、お医者さんが、大きくなる
前に手術しておけば安心だからと薦めてくれて、パパも賛
成したんだ。ママは心配だと言ってるけど、僕はやるよ。
脱腸の心配が無くなったら、思いっきりサッカーをするぞ。

パパは随分日本語が上手になったけど、僕の手術のことは
難しい言葉がいっぱい出てくるので、通訳が来ることにな
った。それで昨日と今日、通訳のAruiが来た。Aruiはパパと
ママと英語で話していたので、僕は「Do you speak Japa-
nese?」と聞いてみた。そしたらAruiは「Yes,I speake some
Japanese」と答えた。僕は、なんだsomeかと思い「You
speak some Japanese」と言うと、Aruiは「Yes」と言って
いた。

昨日、僕は血を採られた。注射の針が刺さる時は痛かった。
だけど僕、涙は出そうだったけど泣かなかったよ。それか
ら体温を測り、血圧も測った。レントゲンも撮ったよ。そ
の時、技師さんが「息を吸って、止めて、吐いて」が通じ
ますか? と聞いてきた。Aruiがちょっと練習しますと言
って、パパと僕とAruiの3人で練習した。AruiがBreathe in
と言ったら、大きく吸う。Hold it と言ったら息を止める。
Breathe out と言ったら吐くように言われたが、そんなこと
言われなくても吐くよ。

そして「吸って、止めて、吐いて」と日本語で言われても
同じようにやった。Aruiが技師さんに大丈夫ですと言うと、
パパもママもAruiも部屋から出て行き、僕一人でレントゲン
を撮った。技師さんも看護婦さんも「良く出来たねー、偉
いねー」と誉めてくれた。

今日は手術だった。マスクをして麻酔ガスを吸うとすぐ寝て
しまい、手術のことは、何も判らない。手術は10分で終わ
ったんだって。でも麻酔ガスが抜けるまで1時間もかかるん
だ。最初に水を飲んだ。麻酔ガスが抜けてないと吐いちゃう
んだって。それからジャムもクリームも着いてないパンを
食べた。昨日の夜9時からは何も食べて無かったので、はら
ぺこだよ。

先生が来て、手術の傷跡を診てくれた。「これなら大丈夫、
もう帰って良いよ」「やったー家に帰るよ、Thank you Arui,
bye bye」



10月16日

イヤロッパ君明治だよ

イヤロッパ君明治だよ          2008-10-16
       
私が中学生だった頃、歴史の時間で、年号を暗記するための
言葉でした。1868年、明治維新と言う訳です。人気のNHK
大河ドラマ「篤姫」も薩長同盟の成立(1866年)まで来ま
した。有名な生麦事件は、既に1862年に起きています。

この時期、我が街「横浜」では、どんな事が起きていたので
しょうか?暁印書館の「横浜・ハマことば辞典」の横浜歴史
年表からの抜萃:

1866年
  増田万吉が、横浜港で初めて潜水作業。東波止場の隣に、
  イギリス人が中心のBoat Houseを建設。横浜の陣屋で、
  福井藩の者が最初の断髪。
 5月  14日神奈川運上所が我が国初の海外旅券を江戸
     本所林町の花田新助に交付
 8月  太田町に前田留吉が牧場を作り、日本牛16頭を
     飼育、牛乳しぼり業を開始
10月  20日、大火発生、外国人居留地の大半消失、豚屋
           火事と言う。
12月  根岸競馬場完成。 

明治維新とは、江戸幕府による幕藩体制から、明治政府に
よる倒幕運動および天皇親政体制の転換と、それに伴う一連
の戦争・改革を言うそうで、従って月日を特定し難いですが、
狭義では明治改元に当たる1868年10月23日(旧9月8日)と
なるようです。

そんな大騒ぎの中、1868年9月 馬車道にて、下岡連杖が
写真館を開業。・・・・庶民の生活も弛まず続いてました。
10月13日

ビルマ商人の日本訪問記

ビルマ商人の日本訪問記        2008年10月13日

連合出版刊、ウ・フラ(昭和11年来日時36歳のビルマ商人)著
土橋泰子(ビルマ語講師、訳書著書多)訳を読みました。実に
複雑な感想です。昭和11年と言えば、私が生まれる数年前。実
際に体験はしてないが、父母から聞かされた言葉の端端から、
伺い知ることは、なんとか可能な日本の状況。それを、当時、
イギリスに完全に支配され植民地となっていたビルマ、現ミャ
ンマーから一人のビズネスマンとして、日本を訪ね、日本の
諸都市を訪問し、自分の目で見たこと、自分の頭で感じたこと
をビルマ語で記録し、整理して故国の新聞社に送り、日本訪問
記として掲載された。それが数十年後の今、ビルマ語から日本
語に翻訳され、私達の目の前に差し出されたのです。

複雑な感想と言いましたが、それは、こうです。日本のことを
書いてくれたのだから、うんうんそうだよな、日本ではそうな
んだよ、と言う部分も有るのですが、えー?そうだったの?と
いう部分も多く、また、そうだったんだよ、昔は良かったよと
言う部分も多いのです。

そして彼(著者)は、船で各地を廻りながら日本まで来てます
ので、当時のシンガポール、マレーシア、香港、上海、台湾等
の様子も書いています。各地で、日本の良さを認め強調し、他
の民族より優れているから、急速に国際市場でその存在感を
強めていることを納得しています。が、同時にある種の恐怖感、
うざったい日本についても感じ取っています。彼の帰国後数年
にして日本軍が、あるいは軍政府が、彼の母国に侵攻してくる
ことを感じ取っていたのでしょうか。そこは判りません。

著書より抜粋:   日本留学のすすめ

引用開始
ビルマから日本へ行って滞在するとすれば、費用としては最低、
ビルマ金で一ヶ月50チャッ(当時の日本円で65円)ぐらいか
かるだろう。日本の学校では、男子学生はみな坊主刈りである。
ビルマのように、未だ何の稼ぎもない学生ごときが、金持ち
顔負けの生意気な格好をすることは許されない。衣服もそれぞ
れの学校や学年で定められた制服を着用する。このことだけで
も、ビルマのような勝手気ままは許されないのだから、ビルマ
の学生ががっくりしないように、あらかじめここに書いておく。
いい気にならず、日本人のように粘り強く、勉強さえできるな
ら何にでも耐えようという気力の持主だけ渡日すべきである。
引用終了

私:「ウさん、済みません。日本も昔はこうだったらしいです」


10月6日

うつ

鬱病よりひどい              2008-10-06

ひどいと言う意味は、ここでは暴力的になってるとか、言う
ことが支離滅裂になっているということですが、そういう患
者を、1年365日、何時か突然に診察しなければならないお医
者さんの話を聞くことができました。昨日のことです。先生
は千葉県で精神科の医師のお仕事をされています。千葉県に
は成田空港があります。そこの出国手続きのカウンターに、
パスポートもチケットも無しでやってきて、無理に通過しよ
うとしたので、係官が警察官に通報。警察官の姿を見て、だ
んだん興奮してきて、最初に書いた状態になる外国人が居る
のだそうです。

こうなると警察は管轄の保健所に通報し、保健所は2名の
精神保健指定医の診察により、措置入院(精神保健福祉法で
定められた用語で、簡単に言うと強制入院)を決定し、保健
所が指定病院まで搬送して入院させるのだそうです。

こういうケースで先生は呼ばれることになり、同時に通訳も
呼ばれることになります。まず、何語を喋っているのか判ら
ない時も有るそうで、大変なご苦労が偲ばれます。少数言語
の通訳探しも大変でしょうし、休日に招集のかかった通訳も
大変でしょうね。

私がボランテイアでやっている医療通訳では、いままでに、
こういう状況で呼ばれたことは有りませんが、有ったら大変
ですね。この先生によると、日本人の患者が日本語で大声で
わめいて居る時に、何を言っているかさっぱり判らない時も
屡々有るそうです。それを英語でやられて、さあ訳せと言わ
れたら、こっちがパニックになりそうです。

国土交通省は、外国人がもっと日本を訪れてくれるようにと
Vist Japan キャンペーンを展開するそうです。外国人がいっ
ぱい来てくれると、どうしてもその中に、少しおかしいのが
混入してくるのは避けられず、困ったもんです。