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10月26日

車で出かけました

車で出かけました。           2006年10月26日

昨日、帰国後初めて車で出かけました。前回運転したのは、
5月に帰国した時でしたから。久しぶりです。家内とチャコも、
一緒です。まず、妹の家に行き、合流してから母の見舞いを
してから墓地に行きました。

母は落ち着いていました。一安心です。

墓地へは厚木街道246を通って行きましたが、なんと降り口を
一つ間違えて手前で降りてしまい、Uターンして246まで戻り
正しい降り口で降りました。手前で降りても、行ける筈なんで
すが、短時間で行ける自信が有りませんでした。日本にずーっ
と居て、しょっちゅう行っていれば間違えないんでしょうが、
情けない話です。

天気は最高で、抜けるような青空でした。

10月23日

突然の帰国

突然の帰国               2006年10月23日

中国青島での私のにわか日本語教師の仕事は、母の容態悪化
で突然の帰国中断となりました。学校に無理を言って22日に
帰国しました。幸い母の状態は小康を保ち、今は危険では
ありません。ただすぐ中国に戻ることはできる状態ではあり
ません。にわか教師と言えども、生徒がいるので、後の授業
のことが心配です。しかし本当に幸いなことに、日本人で、
中国で日本語を教えて何年にもなる先生が近々に来られる
そうで、生徒にとっては、私よりも良い先生に教えて貰える
ことになるので、安心しています。

私の場合、基本的に中国に滞在できるのが来年3月迄です。
そしてその期限が来た時に延長出来るかどうか全く不明と
言うか、出来る見込みが有りません。教師の経験の無い者に
教師としての滞在VISAが出るとは思えないのです。やはり
この仕事は教職者にしか出来ないものと思います。日本の
教師免許が有れば、学校が滞在VISAの申請をすると許可が
出るようです。日本にある外国語学校で日本語を教える教習
を何十時間受けたと言う証明書でも良いようです。
10月19日

怖い言葉:今晩は

怖い言葉:今晩は            2006年10月19日

普通「今晩は」は怖い言葉ではありません。夕方学校の近く
を散歩していると、先生今晩はと声がかかるのは普通です。
インターネットカフエに入ると、大抵は誰か知った顔に会い、
そこでも先生今晩はの声はかかります。  

晩御飯は大抵近所のレストランで中華になるが、そこでも
偶には、生徒と遭遇します。するとやはり今晩はになります。
中華料理ばかりが続くと日本食が恋しくなります。

ここ青島開発区には、バスで15分程の街の中心部に日系
スーパーのJUSCOが有り、そこで寿司を売っています。
何種類かが1パックになったものと、寿司1個ずつを透明
フイルムでラップして、ばら売りのものとがあり、時々それ
を買って、自分の部屋で食べる時もあります。

JUSCOの裏側の繁華街に、日本料理屋があります。値段は
日本料理としては安いんですが、学校近辺の中華料理と比べ
れば3-4倍はします。それで、ここには生徒は来ないだろう
から、偶にはそこでゆっくりと酒も飲み、日本料理を楽しも
うと入ったら、そこでも先生今晩はと、声がかかりました。
不意打ちですね。これには参りました。客の中に生徒は居な
かったんですが、店の従業員の中に居ました。

これで、カラオケスナックに行っても「先生今晩は」はある
のでしょうか?怖いですねー。
10月15日

美しい日本語

美しい日本語              2006年10月12日

教科書に「日本語できれいだなと思う言葉をあげてください」
と言う設問が出てきて、各クラスでいろいろ聞いてみました。

素晴らしい、美しい、頂きます、ご馳走様、ハンサム(これ
英語だな)などがあげられました。私が一番良いなあと思った
のは、女子の生徒があげた、「お疲れ様です」と言う言葉です。
  
反対に「日本語で嫌いな言葉」と言う設問の回答は、「馬鹿
(野郎)」「あほ」などがあげられました。ドキッとしたのは
「ざまをみろ」でした。

また「どんなことを言われたとき、嬉しかったですか?」と
言う設問の回答には、やはり女生徒が恥ずかしそうに「愛し
てます」と蚊の鳴くような声で答えたのが印象的でした。
また同じ設問に「最近痩せたね」と言う回答がありました。
いつも元気な女生徒からです。私が、「じゃー最近太ったね
って言われらたら?」と聞くと、その娘は、相手を張り倒す
仕草をしたので、教室は大爆笑でした。どこでも乙女心は
変わりませんね。

10月8日

山東省の旅

山東省の旅               2006年10月6日

3泊4日で山東省を旅してきました。山東省は中国大陸が、
韓国に向かって突き出た山東半島と、その付け根の部分です。
中国の歴史都市と言うと長安と北京がまず頭に浮かびますが、
その長安とか洛陽とか北京が歴史舞台で脚光を浴びる前に
この山東省には斉と魯と言う二つの強国が在りました。紀元
前8世紀から3世紀にかけてのことです。その頃のことを春秋
戦国時代と呼んでいます。

紀元前8-5世紀と言えば、日本はまだ大和朝廷成立の1000年
以上も前のことになり、卑弥呼が現れる以前のこと、人は
竪穴式住居に住んでいたころです。そのころここ山東省では
王が国家を支配し、城郭を作り人々を中に住まわせ、街を
形成し6万家族が住んでいたとのことです。当時の家族は、
6人以上と考えられ、3-40万人の大都会に匹敵します。

斉の都は、淄博市臨沂区の辺り。魯の都は曲阜、今は孔子の
故郷として世界中の観光客で満ち溢れています。中国の自動車
のNo.プレートには属する地方の名前が表示されます。北京な
ら京、天津なら津ですが山東省は魯です。

私達が宿泊した所:曲阜、済南、淄博。見てきた所:琅琊台、
諸葛孔明記念館、孔子府、孔子廟、孔子林、泰山、ロープウ
エイと徒歩で頂上へ。山東省博物館、勺突泉、大黄河、章丘市
百泉公園、周村。臨淄古車博物館、殉馬坑博物館、斉国歴史
博物館、青州仏像博物館。参加者は青島にすむ日本人11人と
子供4人、マイクロバス1台でずーっと廻る旅でした。

今回の旅の一番の驚きは、斉国25代君主のお墓から発掘された
馬の遺骨106体です。いくら君主の命令とは言え、馬推定600
頭以上を埋めるなんて。しかもその馬が全部同じ向きを向いて
埋葬されてるのを、目で見て、何故何故何故との思いが頭の中
を駆け巡りました。ま、当時は王が死ぬと、妻も側女も埋葬
されたので、馬も1-2頭なら判りますが、国の軍馬の10%を
埋めるなんて、何を考えていたのでしょうか。当時、戦は馬の
数で優劣が決まる時代でした。馬にも効く、麻酔の技術も有っ
たのでしょうね。紀元前490年頃の話です。

斉も魯も他の諸国も、紀元前220年には秦の始皇帝に滅ぼされて
漢民族による統一巨大国家漢が誕生することになります。その
後400年も後になって、ようやく日本の国の存在が中国の書物
に現れ、更に400年後、聖徳太子から隋の煬帝に国書が使わされ
日本は公費留学生を中国の都長安に派遣することになるのです。
長い長い日中関係の始まりです。